読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行とライブが好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

自分史を書くにあたって

雑記

下書き一旦全消し。それまで書いたのも乱文だったけれど、まだ真面目腐っていた気もしてきた。だから全消し。そして、より乱れた文を書く。

*****

「正しい歴史認識」だのなんだの、最近よく聞く。右も左も、上も下も、事実がそこにあっただけなんだから本来関係ないはずなんだけれど、どこからの引用なの?その根拠はなんなの?…というか、歴史って感情で述べられるものじゃないはずなのに、感情論丸出しのことが多い。特に最近は。
しかしながら、人間様が作り上げてきた歴史なので、感情に左右されまくって作り上げられたのは間違いないので、感情論を排除できるわけもないのであろう。

でもさ、せめて、せめて、文献を挙げてほしい。ソースよ、ソース。
…まあ、そのソース自体が当時都合よく捻じ曲げられてたりもするわけなんだけれどもね。歴史ってややこしい。

*****

3年前、今のフィルム・アーカイブの職場に入った。2年前、とある出来事をきっかけにそれまでやってきた中国語を本格的に学ぼうということで中国学を通信大学で専攻しはじめた。職場は映画の歴史がつまっているところだ。中国学は言語、文学、思想、哲学等々であらゆる歴史を学ばざるを得ない学問である。中国語会話を単に学ぶものではない。それはどっかの駅前留学でも友達からでも学べる。古典中国語文(いわゆる漢文)を中国人の友人に見せたら「中国語やるのに何の意味があるの?」とも言われたけれど。まあ、一理はある。

高校時代から理系コースだったため、歴史なんてろくに学んでこなかった。小・中学生のときはもう忘れてる。
もろ未履修問題対象の高校で、地理の授業で世界史の単位まで取れたことになっていた(余って提出しなくなった内申書を開封して確認済み)。
だから、今、特にこの職場で働いて昔の映画を観るようになってくると、歴史を学んでこなかったことを悔しく感じた。基礎的な歴史すら"文系"がきちんと勉強してきたのに、化学やら数学やらを偉そうに(言い過ぎごめん)勉強してきて、それだけの(言い過ぎごめん二度目)"理系"が"文系"を小馬鹿にするなんてことが恥ずかしいとも思うようになった。大学生のときもなんか周りの理系大学生様が文系大学生を小馬鹿にする風潮があった気もしなくもない。うむ。"歴史"を学ぶことには意義あるよ。ってか、単純に学ぶのが楽しいってのもあるし。

*****

…しかしながら、編纂となるとそれまた大変だ。
2年前、中国学を専攻するちょっと前に、高校時代から所属して、今は映画祭期間中だけ当日お手伝いスタッフをしている「映画祭TAMA CINEMA FORUM」のwikipediaページを、既存のものから見やすく、そして映画祭期間外の上映会の項目も作ろうと思ってやってみて、歴史の重みってやつに初めて気付いた。

たかだかwikipedia、いやでもちゃんと資料を基にして作り直したかったから、公式サイトには記録は勿論あったけれど、映画祭のパンフレットを第1回目から全て家に持ち帰り、そして上映会の資料も集められるだけ集めた。
今年でもう25年になる映画祭だが、市民映画祭という位置付けではあるけれど、wikipediaの記述のややこしさ以上に、相当なものがあった。

*****

記憶違い、これが厄介なものだ。記憶力が相当良い人はいざ知らず、いや、自分も悪くはないほうだと思ってるけれど、時間が前後してしまってることってよくある。

映画、演劇の鑑賞記録を取っているし、数年前まで書いたノートの日記もあるし、Twitterの発言はtwilogで残すようにしているし、スケジュール帳は8年前からそれなりにまめに予定書き込んでるしで、これらを確認するとその時間の前後に気付くことが多々ある。

時間の前後より厄介なのは、感情の記憶違いで、僕は中学1年の2月に札幌から東京に越してきたわけだが、東京での中学生時代の友人とあまり、というかほとんど会わないし、というかあまり会いたくないし、成人式にさえ行きたくないと思ったわけなのだが(黄色の袴着て、札幌で記念写真を撮って大好きな母方祖父母にその姿を見せるってのは実現できたけど)、当時の日記を読み返すと別にそこまで「黒歴史」たるようなテンションで書いてはいなかった。誰かの家行ったり、街へ出かけたりして遊ぶ相手はいなかったのは事実だけれど、ドラマや音楽番組をよく観てたし、母親とよく出掛けてたし、まあそれなりには楽しんでいたご様子だった。

当時、母方祖父母がまだ札幌にいて、毎年帰ってたから、札幌時代の友達とも毎回遊ぶこともしてたわけで、一切友達とやらがいなかったわけでもない。帰郷しては母校の小学校の周りへ行って「札幌帰りたい、札幌帰りたい」とかは言ってたけれども、さ。うん、あれ?

まあ、とにかく、感情も方針も時を経れば変わるわけで、曲がらぬ信念なんてもの俺にはほぼ無いから、優柔不断というのか、寛容というのか、変わりまくっているわけで。
「楽しんで生きる」、その本能だけは昔っから変わらないかもしれない。それが今は加速して好き勝手しまくってるだけで。あと、今でも受け身な人生だけれど、なんとかやれてるとことか。運?

*****

そんなこんなで、記録は感想交えずに淡々と更新していくけれど、こうした文章で書く自分史は今の感情に合わせて都合よく書き換えられてる可能性も否めない、ということだけ書いておこう。

*****

blog含め、あらゆるSNSに手を出すと細分化してしまう。僕の場合はそこまで隠し事をしたいほうではないので一本化してしまいたくなり、要らないSNSにアカウントを残したままにすることをしたくないので、残せるデータは引っ越しし、繋がった友人・知人は他のもので繋がるようにし、整理を全て終えてからアカウントをごっそり消すわけだけれど、今考えたらmixi日記とか、blogとか、感情で書き連ねたものをデータで残しても良かったかもしれないとか思ったりもする。
それこそ、黒歴史かもしれないけれど、公開しているわけだから今更言い訳したってその日記を読んだ人が今繋がってる友人知人にいまだいるわけでもあって(本人が僕にさして興味なければそんなこと覚えてもいないだろうけど)。