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AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行とライブが好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

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2017年5月5日(金)、6日(土)@生駒高原

負の歴史をどこまで記述すべきなのか

いつも気にする。
誰も見てない前提で(死んでしまった後に見られる分には構わないけど)書いてたノートの日記ですらそんなことを思っていた。

感情のムラ、矛盾だらけの行動、一般論からしたら道に外れている言動など。論文やプレゼンでないからそこは気にする必要はないのだけれど、整合性をどこかで求めてたりする。

恥はだいぶ捨てている。つもり。ごく個人的に話していたことが違う誰かに漏れてることもあるし、twitterFacebookでスルーしてるだろうと思ってたらがっつりその投稿が見られていて、後でその件について聞かれたり。一瞬ヒヤッとするんだけれど、そもそも公開範囲が全体になってる時点でそれは予想範囲内だったはず、と気付いて、なんとか気持ちを落ち着かせている。「秘密だよ★」なんて通用しないってことも知ってる(つもりだ)し。

幸い、僕から離れていく人が思ったより少ない。我慢してくれているのか、寛容なのか、全然大したことじゃないのか。わからないけれど。大きな炎上は今のところない、かな。

それでも、本当に言いたくないことはごく個人的にさえも話さなかったりする。それもいつかはバレるかもしれない。でも、なるべくリークはさせない。予定。
twitterという手段で独り言を多く記述したり、Facebookという手段で現在地や旅行記を詳細に残していたりするのは、その裏で起こした行動や、行った場所や、本音の本音を隠そうとしてる表れなのかもしれない。

……ああでも、いつかはぶっちゃけたい。そんなこと山ほどある。
「小説や映画でこんな世界初めて知った!」という知り合いに対して、その世界実は知ってるんだよねー、片足つっこんだことあるんだよねー、と言いたくて仕方ない時がある。

歴史って、綺麗ごとだけじゃないでしょ?美談じゃない黒い黒い闇の中から今の便利な世の中だったり、素晴らしい人間が出来上がっていたりするわけで。

はて、そんなことを書くことになるのは、いつになるだろうか。