AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行とライブが好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

誕生日17日前

2日間書くのを見送って、いつものように題名でカウントダウンしていくと、時間の経過の速さをじんわりと感じるのであった。

代り映えのない日々…というのはある意味では嘘になるけれど、やっぱまだ刺激的と思えることや追い込まれるほど落ち込むことはなくなりつつあるのでなんとも退屈で仕方がない。

強いて言えば、年下の挙動に感心したり微笑ましかったりすることが多くなってきてそれが唯一の年上としての自覚であろう。
歳を経るごとに「最近の若者は云々」の「云々」にネガティブなことを入れがちとよく言われるが、個人個人で性格が違うのでどうして一括りできようか、としか思えない。むしろ自分がしっかりしないまま三十路を迎えようとしてきたので、彼らのほうがよっぽど最初っからしっかりしてて恐れ多いくらいなのである。
カップルなんて特に礼儀正しくて可愛さ極まりない。色んなカップルに「末永くいろよ」と心の中で応援しまくってる。

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「怒り」予告2

9月24日(土)、映画『怒り』を観てきた。原作である単行本上・下巻を数日前にネット購入して前日に届いたのだが、敢えて読まずに鑑賞に挑んだ。
原作を読了した人にとってはやはりその細かさ故、いくら映画でも長いとはいえ原作の部分は端折らなくてはいけないからか、物足りなさを覚えたという意見をちらほら聞いてはいた。
ただ、原作未読である僕にとっては充分なもので、ニュースで色々話題になってた俳優陣の凄さは、ただの話題作りではなく期待以上のものであった。

千葉・沖縄・東京と全く交わらないパートが出てくるわけだが、特に沖縄パートの広瀬すずと、東京パートの妻夫木聡には圧倒された。
広瀬すずに関しては今引っ張りだこの若手であるが、その期待をきちんと受け止める度量があると感じ、これからも恋愛や青春映画以外にも様々なことへ挑戦してほしいと思ったのであった。

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色々な意味で共感しまくった東京パート。特に妻夫木聡扮する優馬がホスピスにいる母のベッドの横でスマホを観てるシーン、短くてどうってことないシーンの初めの短いカットだが、あれが一番ニヤついて、そして自分も同じことをやりかねないと思い恥ずかしさすら覚えた。

そんな母の事を思い出して何か書こうと前々から決めていた9月24日(土)、映画の補完をしようと『怒り』単行本の上巻を少し読み始めた時に疲れがピークに達し(映画鑑賞の前に既に疲れる業務をやってた故映画での疲れも相まって)、爆睡して時計の針は翌日を過ぎてしまっていたのであった。

何故母の事を書こうとしたか?それは、母の誕生日だからである。

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正確に言えば、母の誕生日"だった"である。4年前・2012年3月6日(火)、母は亡くなった。

母が入院したのは2011年12月14日(水)。卵巣癌での入院だったが既に腹水が溜まっている状態で後で言われたのがステージ3であるということであった。
最高がステージ4。そう、もう生存確率がぐっと下がる段階に入院初日からいたのであった。

2011年5月29日(日)、母方の祖父が亡くなってから1年も経たない内である。
そのまた数年前に父方の祖父母を相次いで亡くしたけれど、正直言って父方祖父母との交流が少なかったので実感というものが沸きにくかった。
母方祖父が亡くなったことで死を身近に感じ始めたが、それを忘れるなと言わんばかりに更に死を忘れ得ない出来事が起こってしまったのである。
直接の親が亡くなるのなんて、もっといい歳になってからだと思っていたから。永遠は無いし、突然はあるのだと、この時悟った。

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入院している母への見舞い、本当にそっけなかったと今でも思う。しかし、だからと言って急に優しい態度を取るのもプライドが許さないのかしたくはなかったし、勿論いくらかの介助はしたけれどそれが全面的に後悔してるとも思ってはいない。頑固かもしれないが。
そう、だから先ほどの『怒り』の中でスマホを見るシーン(これは読み始めた原作小説の中でも描写されている)が似たようなことやってたような記憶があって、ハッとさせられたのである。

生と性って、どうしても不謹慎を感じつつも近しくて混じり合ってしまうものなのである。

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この前父を祝った記事を書いたが、対照的に母の誕生日に関しては祝っていた。というより、成人になるにつれある種"祝わされてた"感覚に近いが、一人息子であり、更に父とは全然仲良くないので連れ回したくて過干渉になりがちなのは分からなくもない。
(だからこそ逃げたくもなるし、実際理不尽に叱られながらも逃げてたし、でもそれが運命かと思って諦めてた部分もあるし、そして先ほど入院している母への見舞いに対してそっけなかったり、一人になる時間が増えたせいで気分が晴れてたと思ってた節は正直あった。)

ただ、思えば欲望に忠実であり承認欲求が強いのは僕も似たところなのだろう。誕生日に何かしたいという欲求が常にあったな、と思い出す。
もっとも、コミュニケーションが上手であれば僕以外の誰かと気が合って、僕以外の人と一緒にどっか行ってたのではないだろうかとは思うが。
(全然他人とコミュニケーションを取らないとか、息子を連れて行かないと絶対ダメ、とまではさすがにいかなくはなってたけれども)

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眠くなり始めたので、母の話は切り上げよう。亡くなった前後のことはノートに書いてあったりするけれど、長くて端的にまとめるのが大変なので、いつか機会があったら。
(コーヒーを飲んでるというのに、飲む度眠気が増す)

身内が亡くなった話、公開する形で書いたのはこれが初めてだが、これを機にやっと「母が亡くなった」ということを文字で書いていこうと思う。
知っている人でも実は2012年の年末まで一部を除いて頑なに言わなかったし、Facebookでも限定公開でそういう感じだった。
一番使っているtwitterに関しては今の今まで一切書いていないし、それをほのめかすのも書こうとしていない。でも、それは止める。宣言。

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美化されつつある母との思い出。でも、過干渉であった事に嫌気が差してたのは事実だし、それがなくなって良かったのもの本音だ。
なのに、いまだに、普通に、夢に出てくる。それもかなり現実味帯びる形で。
たまに、母がそこにいるのが普通であると思って接することもある。これは、出先でも出てくるので"地縛霊"なるものでもなんでもない。

以前、夢である事に気付いて「おめぇはもうこの世にいないだろー!」って夢の中で叫んでしまったこともあったっけ。でもまた、次で見る夢ではまた普通に接してる自分がいるのだが。

4年半経ってもこうだから、いつまでも続くのかな。なんでまだ母の死を自覚できないのだろうかな。
母の身の回りのものはなるだけ廃棄し、遺影を見るといつでも思い出してしまいそうで箱にしまってあるというのに。
忘れたと思った頃に、また夢を見る。

・・・・ま、何か害があるわけでも精神病むわけでもないので、放置しておこう。

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