読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行とライブが好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

誕生日15日前

過去の誕生日当日の日記を2000年から辿っていっているが、2004年10月13日(水)と2005年10月13日(木)の日記が無い。

ただ、2004年10月13日(水)は母が大好きだったLUNASEAのギタリスト・INORANのソロライブを、母と一緒に新宿のリキッドルームへ行ったというチケットの半券が日記帳に貼られており、
2005年の6月から新聞に折り込みの月間カレンダーをスケジュール帳代わりとして使っており、2005年10月13日(木)は大学浪人で予備校の時間割を記入していた。その為、運良く誕生日に何をしたかの記録は残っていたのであった。

この2年は実に辛かったような気がする。

*****

2004年は高校3年生。2000年6月15日(水)から毎日のように書いていた日記も大学受験の為なのか2004年8月15日(日)で書くのを一旦止めている(行った映画やライブ・演劇などの半券は記録として貼ってたりはする)。
それが挫折を味わって書かずにいられなくなった2005年2月2日(水)から再開し、以降はそれまでの毎日のペースではなく気が向いたら書いていくようになっていく。
それが18歳の自分であった。

*****

19歳に近づくとスケジュールを立てる大切さに気付く。ケチっぷりが発揮されているかの如く新聞の折り込み月間カレンダー(それなりにでかめなので小さく折ってファイルに入れていた)で書いていたが、大学生にやっとなれるとなる2006年4月からはきちんとしたスケジュール帳を利用するようになり、これが過去を辿る上では重要なアイテムとなっていくのであった。(そんなつもりはその当時は考えもしなかったが)。
そういやSNS(当時はmixi)を始めたのもこの頃であった。

誕生日後ではあるが、2005年10月26日(水)には日記を書いている。
10月6日(木)頃に父方祖父が亡くなり、10月8日(土)から11日(火)まで葬式の出席の為、両親と共に札幌へ急遽帰省することになり、その時の様子が綴られている。

18歳での挫折の延長で、生まれ故郷への愛おしさが一層増して、親類関係で一番近い父方祖父が亡くなったことによっての帰省は運命だとこの頃は感じていた。札幌の某大学へ行くんだ!…と意気込んでた(ただ意気込んでただけの節もある)ので、その大学へ見学にも行ったりした。

父方祖父については、父との結びつきが弱くて自動的に父方の親類とも会うのが少なく、父方の従兄弟達含め親類は葬式で泣いていたのに自分は申し訳ないことにピンと来てなくて泣けず、そして母方祖父母の家で母と一緒に過ごしたりもしていたからその思い入れが少ない。
日記帳を見るともう北海道への愛しか書いていない。

まさか東京にずっと残り続けることとは想像もしなかっただろう。葬式のための帰省から戻ってきて、また予備校通いの日々が始まり、いつか北海道愛が叶えられるはずだと淡い期待を抱いて勉強をしていたのであった。

*****

今の職場で働いてから責任感が伴う仕事が増えていく。そして、前職含めてだが、日を追うごとに誰かに何かの業務を教えていかなくてはいけない、また、その中で人の働きの評価をしてどうしていくかを考えなくてはいけなくなってきた。

これが歳を経ることなのだ、とつくづく思う。
ずっと誰かに使われているか、またはフリーダムに一人で動いていたらどんなに楽だろうか…とたまには思ったりはするのだけれど、人と接するのは避けられない(というか避けるような事をしてない)ので、新しい世代へ教える必要性が出てくるのは当たり前なのだろう。

そんなこんなの日が終わり、誕生日16日前に記事を書き上げようとしたが、0時過ぎたので、タイトルを『誕生日15日前』にしたのであった。

今日はこのへんでおしまい。

広告を非表示にする