AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行とライブが好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

誕生日7日前

とうとう誕生日1週間前になってしまった。
寝るのを若干早めたはずなのに、昨日は目覚めたら思った時間よりも遅く起きてしまったんだっけ。
直前に亡き母がまた夢に出てきて変なことやらかして呆れて叱ってたのを覚えてる。まだ夢の中では当たり前のようにいるのであった。

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先ほどの帰路では風がやや強く吹いていた。
その風に吹かれながら歩いていたら、3年前・2013年10月8日(火)、台風に直撃してた釜山で過ごしたことを思い出した。
今朝、動画で釜山が大雨で道路が酷い状態のを観た時も思い出したが、改めて釜山が懐かしくなった。

5年前・2011年から約1週間の滞在で2015年まで毎年行ってた釜山。そこで行われる釜山国際映画祭で映画を毎日のように観まくり、合間合間、または映画祭が終わってから色々な所に行ってた。
韓国語は上手く話せないけれど、だんだんと表記が読めるようになっていった(ハングルの基本的な読み方については既に習得していた)。

ネット上の日韓の様子は年を追うごとに酷くなっていっても、映画界は違っていた。そして実際行っても旅行程度では全く酷さを感じなかった。
やはり目で、耳で感じることが大事なんだよな。と。

今年は、仕事が変わって行けないだろうというのと、映画祭自体のごたごたが結構直近まで続いていたのでいつもなら半年前に釜山行きを決めていたが早々に断念した。

…しかしながらこう書いていくと釜山に行きたくなって仕方がない。もとい、韓国が懐かしい。
もっと言語力磨いて近いうちに韓国へ挑みたい。

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【2008年10月19日(土)の日記】
※個人名、団体名の一部は伏せます。
※元の日記は全文改行してないですが、少し改行を加えました。

既に10/13は過ぎてしまい、22歳となった。22歳といえば、「22歳の別れ」か…?ま、恋人すらいねー俺にはカンケーネーか。
今回は○○と、そして「あ、そういや今日だったね」という、そっけない、でも忘れてなかったのね的なメールを寄こした××××以外…あ、△△さん(□□□のね)以外はメンミクの人だった。アピールを陰でこそこそしすぎたなw
ま、そんで、つまりは、ゲイのひとから(バイもいたけど)が多かったわけで

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当日の日記がなかったので直後の日記を掲載。
mixiなるものと上記にあるSNSが主流だったこの頃。
当日は何していたかをスケジュール帳を見ると、アルバイトしていた映画館で母と二人で『百万円と苦虫女』を鑑賞してたとある。
この映画を観たあと、同ビルのレストランで食事をしたのは覚えている。
ちょうど体育の日で祝日だった。まあ大学生だし直前直後は映画祭活動をしていたりアルバイトをしてたりとで祝日とか連休とかは関係なかったけれど。

大学ではどんどん孤立を深めていき、ネットでの出会いと映画活動での出会いでしか楽しさがなかった。母にはそんなことを隠してるような、でもバレてるような、そんな状態だった。
今の自分の人との出会い方の主流を作ってる年。
広く、浅く、一期一会もあって、でも、それでも色んな人と出会いたくて。欲望に忠実に生きたくて。