AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行とライブが好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

"多様性"を"理解する"ということについて

これは個人の好みにはなるけれど、僕は登場人物全体へ"共感させよう"や"説教垂れるかの如くの理解させよう"という映画はあまり好きではない。

以前、中長編のコンペティションの一次審査で観た作品の中に医者が出てきて同性愛とはなんぞやを説明する(しかも「同性が同性を好きになる」というごく初歩的な説明)シーンがあり、「え、それ必要?」と思ってしまった。
全体的にも出来は良くなかったというのもあったが、映画には野暮な講釈を垂れなくてもいいと感じている。
そして、侮蔑者は侮蔑者のままで存在してほしいと思っている。

…ということで、こういう観点で良いなと思った映画を紹介する。

ナチュラル・ウーマン』


ベルリン銀熊賞受賞!『ナチュラルウーマン』予告編
2018年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したことでも記憶に新しいチリの映画。
MtFトランスジェンダーが主人公で、恋人が亡くなったことによる展開が、胸が苦しくなると同時に勇気も与えられる。

恋人の親類というのが実に厄介で、主人公がトランスジェンダーであることに、最初こそ婉曲な表現をしてるものの、次第に嫌悪感を露わにしていく。

一方、主人公の職場や友人などは色々な場面で手助けをしてくれる。彼女がMtFだからという特別な理由ではなく、自然な手助けで、それが良い。

先に述べたこの親類の主人公への侮蔑というのが本当に苦しくなってきて仕方ない。
唯一、亡くなった恋人の弟が主人公への理解者なのだが、他の親類たちの中にいるととても表立ったことができなくて主人公に対して申し訳なさがいっぱいでツラそうであった。

この環境がいとも簡単に変わるということはないと思われる。たぶん、この恋人の親類たちはそのまま嫌悪感を持ったままだろう。
しかしながら主人公の"私はそれでも強く生きる"という姿勢に感動を覚えざるを得なかった。

ハーヴェイ・ミルク


『ハーヴェイ・ミルク』予告編
奇しくも、こちらもアカデミー賞受賞作品で、1984年の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。

邦題のとおり、2009年に日本で公開された『ミルク』のモデルとなったハーヴェイ・ミルクのドキュメンタリーで、僕はフィクション映画の『ミルク』よりもこのドキュメンタリー映画のほうがひどく心を揺さぶられたのを今でも覚えている。

その心揺さぶられた理由として、ドキュメンタリー映画ではハーヴェイ・ミルクを暗殺したダン・ホワイトについて語られていたからである。

マイノリティを主軸に語るとき、差別者にはあまり焦点を当てられない。
『ミルク』でもごく簡単にしかダン・ホワイトの心情が読み取れなかった気がする。だから「マイノリティ差別イクナイ!ワルモノ!」という安易な印象を持ってしまいかねない。

でも、ドキュメンタリー映画で語られるダン・ホワイトはそういう人じゃなかった。少なくとも、家族を愛する夫で父親であった。
だから、"よくあるタダの差別・侮蔑""暗殺"という狂気に至ったのは、単なるワルモノだからということではないだろうと感じた。

僕たちは自分たちマイノリティを語るとき、自分たち側だけでなく、じゃあマジョリティ側がそれぞれどんな想いを抱いてるかを実は知ってるようで知らなくて、知る必要があるのではないだろうか。

個人的な経験

自分のことを話したとき、相手からも秘密を打ち明けられたことがある。

ある人は自分がアスペルガーだと告白してくれた。ちょっとした変人、という認識しかしてなかったし、アスペルガーという言葉もそのとき知った。
そのあと、僕が悩んでることをくどくど言ってたとき、彼も彼で悩みはあると言ってくれた。僕にはまだ当時、自分だけが悩みを抱えてるのだとばかり思ってたからその視点は無かったのであった。
高校生のときだった。


ある人は、僕のことに対して「理解できないけど」と言った上で、バイト先で二股&主婦と不倫してると告白してくれた。
不倫とか二股とか、それこそ映画やドラマの世界でしかなかったので身近にあるのだと知ったし、どうやら相手からのアプローチのほうがすごいらしく、彼は彼なりに大変なんだなとしみじみ思った。そして、不倫とか二股とかは当時僕にとっては「理解できない」ことだった。
※今は不倫・二股に対してはやや考え方が変わっている。
ちなみに、お互い理解出来ないとしながら、その状況が面白いと言ってその後何回かサシで呑みに行ったし、今でも呑みの誘いはあったりする。


ある人は風俗でニューハーフにフェラチオをしてもらって、女性にしてもらうより気持ち良かったと告白してくれた。
彼とは高校生からの長い長い付き合いで、でも今までほとんどと言っていいほど性の話題をしてこなかったので、すごく嬉しかったし、楽しかった。
自分にはまず見られない世界だからだ。

"多様性"を"理解する"

タイトルにしておきながらかなり難しいことだと思っている。

個人的経験からか、別に理解なんてしなくてもいいので、こういう人がいるんだ、と思ってくれて構わないというスタンスで生きてる。
反対に、僕も相手を無碍に、そして安易に理解しようとはしないようにしているし、それを伝えるようにしている。
それでも侮蔑・避けてくる人がいたらこちらはこちらで自分らしく突き進んでいく、と決めている。

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昨今のLGBTをフィクションの中で織り交ぜることが自然になってきてるのは喜ばしいことだと思っているが、少し前、Twitterでゲイのエロ垢(乱交垢だったか、ハメ撮り晒し垢だったかは覚えてないが…)を覗いた時、このゲイ(まだ"L"や"B"や"T"は少ないので敢えてこの表現)が出てくるドラマのブームに嫌悪感を示しているtweetがあり、彼曰く広められるのが嫌だというのであった。好きにさせてくれ、と。
マイノリティみんながみんな、同じ方向を向いているわけでもない、ということもこの時知った。
これもある種の"多様性"なのだろうか。

最後に

今月、大阪にて開催された大阪アジアン映画祭で観た、レズビアンやゲイのカップルがごくごく自然に出てきた映画『パキ』の予告編を紹介する。

OAFF2018『パキ / PAKI (Please, Care)』予告編 Trailer
上映終了後の観客との質疑応答の中で、監督はフィリピンではまだこうしたカップルが自然にいることは少なくて、保守的な考えを持ってる人が多いから描写は"ファンタジー"である、と言っていたが、僕はこういう世界が訪れることをハナから諦めてる一方で微かに期待もしてるな、とも思ったのであった。