日曜日は3月末に一緒に呑んだ年下の子と実に9ヶ月ぶりに呑んだ。忙しさに押し流されると本当にそれくらい時間がすぐ経つ。
昨日・月曜日は大事な大事な行事があって、日曜日の若干の二日酔いと疲れと眠気がありながらも無事終えたが、気付けばとても呆気ないものだった。
その行事も約1ヶ月前に決めたもので、1ヶ月も実に早いのだな、としみじみ思ったりもするのであった。
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映画
映画を観るために台湾へはよく行ってたが、この月は普通に映画館でチケットを買って映画を観てみたいという欲求に駆られ、まだ日本公開が先の映画を2本観ることにした。
読むことと文字でメッセージを打って会話することはそれなりにできても中国語の会話がでんで苦手な僕は、チケットの枚数を間違えて伝えてしまってその後キャンセルしてまた購入し直すという、チケット売り場のスタッフを困らせてしまった。まあ何とか買えたわけだが。。。
観たのは『リリーのすべて』(台湾でのタイトルは≪丹麥女孩≫。原題をそのまま訳してる)と『デッドプール』(台湾でのタイトルは≪惡棍英雄 死侍≫)。後者はせっかくなので4DXで観た。
席が動く映画は昨年9月の『キングスマン』以来。あの時初めて体験したMX4Dは実に興奮したものだ。レイティングあるポップで残酷な描写があるものを好物とする僕にとって、『デッドプール』もそれに匹敵して、4DXで観て良かったと感じたものである。
マーベルシリーズの映画は全く観てないので、観てたらもっと楽しめた部分はあるかもしれないと台詞の端々では感じたが、そうでなくても充分楽しめる要素はあった。
日本公開は6月公開、台湾含む中華圏では春節に合わせて2月公開だったので、帰国してかなり話題のずれを感じた。
よく言われる外国映画の日本公開の遅さ。様々な要素が絡んでいるのだろう、まだその仕組みについては分かってない部分が多いけれど、隣国がそれなりに早いのを見ると仕組みが一刻も早く変わってほしいなとも思うところである。
この月に観た映画は18本。今年は月平均で観る本数が減ってるので、まだ余裕がある内に観ておこうと思って観たほうだった。
大阪アジアン映画祭に行っていたので、カンボジアの発掘された1968年製作の旧作や、ベトナム映画、シンガポール映画、香港映画を観たり、南アフリカ映画(旧作)、そしてジブリ映画をあまり観ないため初めて『紅の豚』なんかも観たりした。
映画の鑑賞本数もそうだが、バラエティ豊かであるという面でも充実してたのではなかろうか。
映画館
大阪アジアン映画祭の会場で初めて第七藝術劇場に行った。
十三という、かつて母に「柄悪いところ」と吹き込まれた大阪の地、新世界とはまた違ったいかがわしさがあって、朝はそんなのをひそめつつ、でもホテルへ入っていく男女の"そういう営業"は午前中からあるんだなぁ~・・・と思った場所にあったのを思い出す。
他は、先に述べたように台湾で初めてシネコン・威秀影城(VIESHOW)という系列の高雄大遠百威秀影城に行ったり、大阪に行ったときはほぼ必ず寄ると言ってもいいゲイ映画上映専門の日劇ローズになんかも行ったりした。
番外編として、金門で軍人が休暇の際に利用してたらしい1960年建設の金東電影院跡地にも寄った。
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正面から。島の中でも現在は栄えてる場所から離れたところではあるが当時は軍人でにぎわっていたらしい。
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上映中と次回上映予定のポスター。観光用に掲示してる?
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中には入れなかったので、見えるところから。検索かけてみるとそこそこの広さと席数はあるみたい。今の都心にあるミニシアターくらいだろうか。
離島である金門にももちろん映画館はある。それもシネコンではあるけれど。
生活圏に映画館があるというのは幸せなことなのかもしれない、それは今も、昔も。そんなことを思った。
映画祭
先に述べたが、まず3月9日(水)~12日(土)は毎日『第11回大阪アジアン映画祭』へ通った。
3年前から毎年行くようにしているが、今年はなるべく多く観たくてこれまででは最多の8本観た。
アジアフォーカス福岡国際映画祭にも行ったことがあるけれど、福岡はシネコンが主に会場な為か"祭り"の感じがあまりしなく気分が高揚しない。しかしミニシアターを中心に会場を置いているためか、人がぎゅっと集まっていたり、またQ&Aが大阪のほうが「映画祭へ来たぞ!!」と思わせてくれるので、福岡へ行くのは途中でやめたが、大阪へはなるべく行こうと思ったのであった。
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ABCホールの前のちょっとした飲食売店。スマホのカメラを向けたらポーズを向ける、さすがの大阪。ノリが良い。こういうところは本当に"祭り"らしい。
大阪アジアン映画祭のもう一つの特徴としては、ラインナップにエンタメ作品も多くあるところである。"映画祭"とつくと"アート系"を選定する傾向にあるが、この映画祭に関してはアジアの大衆向け映画を選定しているので、ハードルを下げることができる。
その国の大衆向けであるので、質としては崇高なものではないかもしれない。ただ、外国の"大衆向け"を知るにはとても良い映画祭ではなかろうか。
韓国で大ヒットして、ストーリーのアウトラインはそのままのベトナム版である『ベトナムの怪しい彼女』なんかはまさにそうだった。
監督の話を聞くと、ベトナム戦争の背景が見え隠れする仕掛けがちりばめられている。その時代を生きたベトナム人には深く刺さるが、日本人には分かりにくい感覚の映画なので一般公開するのは難しいのかなと思われた。
この映画祭は勿論、今回観たカンボジアの『12人姉妹』のように古い作品の発掘というプロジェクトもしてるので映画祭フリークの人を飽きさせはしない。
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後半は、3月19日(土)~21日(月・祝)の3日間で行なわれた『第八回ちば映画祭』に参加した。実行委員でもあるので、前日の準備も含めて参加した。
当時はまだ映画祭TAMA CINEMA FORUMの実行委員会に所属していた2012年に初めて、他の委員の人たちと参加し楽しかったので、翌年は当日ボランティアとして参加した。そこでいきなり打ち上げ会場の予約・会費集金を任され、「なんじゃこりゃ」な映画祭であることが衝撃的だったのを今でも覚えている。
というかこれ以外にもかなりのラフさは、これまでスタッフで参加してきた映画祭のどれよりも群を抜いていて、その気軽さと楽しさに、毎年参加し、ついには実行委員となってしまうのであった。実行委員といっても大したことはやってないが・・・
トークの司会なんかもやったけれど、あれはもうやりたくないな・・・笑 話すのが元々得意でないので大勢の前でのトークはいくらなんでも上手くいった気がしない。
それ以外はほぼ裏で音響ミキサーをいじっていた。裏方のほうが実に身に合う。。。
来年も開催されるちば映画祭。まだ全ラインナップは公表されていないが、今年も結構面白いものになるとは思っている。公表されたら是非ともたくさん宣伝したい。
演劇
3月は映画にかけていたので、演劇は行かなかった。
ライブ
3月は2本。
細身のシャイボーイさんのワンマンライブと、BiSH。
まずは3月6日(日)に下北沢ロフトで行われた細身のシャイボーイさんのワンマンライブ。
細身のシャイボーイは前述した『第八回ちば映画祭』で上映する『劇場版 復讐のドミノマスク』に出演しており、ゲストとしても来てくれるとのことだったので、その前にライブを観ておきたくて観に行った。
彼はトークが上手い。そしてやや毒舌。元々はそんな性格でなかったのだろう、映画祭打ち上げのときの中盤での立ち位置(座り位置?)を観察してるとそれがよくわかる。彼の歌詞によく共感するのであった。
赤信号は渡らない / 細身のシャイボーイ
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ライブで初めて聞いて、歌詞に一番震えた曲。歳とったんだなぁ、としみじみした。
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細身のシャイボーイさんと。そういや、彼は僕より年下です。何故かずっと年上だと思ってた・・・
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『劇場版 復讐のドミノマスク』の主演である福田洋(現在のリングネームはトランザム★ヒロシ)。文字通りとても気さくな方でした。
もう1本のBiSHのライブの詳細は省く。ライブ後のチェキ会では今回6人中4人撮ったが、推しであるメンバーのハシヤスメ・アツコとの写真だけ載せておく。
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旅行
2月27日(土)から3月5日(土)まで台湾に行っていた。
台湾といっても、ここ最近はお気に入りになった高雄ばっかりで、今回も例外でなく高雄に行った。
しかし、長い休みが取れる機会はもう少なくなるかもしれないということで2月29日(月)~3月2日(水)は2泊3日で金門に行くことにした。
金門は台湾の離島の中で台湾島よりも中国大陸に距離的に近く、国共内戦の最前線でもあった島である。
昨年の大阪アジアン映画祭で上映された『軍中楽園』の舞台で、この映画を観て初めて特約茶室という軍人への慰安所が存在し、しかも廃止されたのは1992年という、割と最近であることを知った。
台湾ならほぼだいたいの人が台北だろう。その次はやはり僕みたいに南部が好きな人もいて、高雄や台南へ行く人が多いと思われる。
金門へ行く日本人は少なくとも僕の周りでは聞いたことがない。自分もそうであったように、金門という島があること自体知らない人は多い。そりゃそうだ、地図をパッとみて、台湾が実効支配してるなんてまずは思わない。
台湾に離島はいくつかあるが、金門は特に楽しむ観光地、という感じはしない。国共内戦の歴史を知りたい人にはためにはなる。
美味しいものがないわけではない。特別なものは食べはしなかったが、食事は美味しかった。
また、2月~3月でも気温が高い台湾島、高雄は南部に位置するので特に高いけれど、金門はぐっと気温が下がる。海風が強く、寒かった。
歩けばところどころにある戦争の爪痕。小旅行ばかりで気付かないだけかもしれないが台湾本島よりも迷彩服をきた兵役中の人たちを見かけ、彼らを荷台に乗せた軍の車も見かけた。
一歩外れれば実にのどかな風景。牛、牛、牛。
ここの実効支配が中国になってたらどうなっていただろうか、と思いながら島を色々歩いていた。考えたところで、金門の知識が浅い僕にはその答えが出るはずもないわけなのだけれども。
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こんな風に慰安所があったらしい。
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海沿いにこんな大砲の跡がずらーっとある。
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ボウリング場跡地。日本の地方でも同様のはあるけれど。
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金門大学を抜けたところは牛ばかり。普通の人の営みがある。
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3月8日(火)~3月13日(日)までは前述のように大阪アジアン映画祭に参加するため大阪に泊まっていたが、前職で同僚だった人が現在大阪で働いており、まず3月10日(木)に天満の居酒屋で飲み、翌日は彼女が神戸映画資料館に調査のために行くので、もし時間あれば案内すると言われ、行くことにした。
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神戸映画資料館が位置する商店街。シャッター街になっていることがわかる。
岩手県宮古市に行ったときもそうだが、震災で大きな被害に実際遭わないと同じ日本にいてもわからないように、もうだいぶ経っていても阪神淡路大震災の影響がまだ残っていることを初めて知る。
かつては栄えていたらしい商店街、こんなシャッター街だなんて…とショックを受けた。
さて、神戸映画資料館についてはとても興味深いところであった。特にフィルムセンターが集めないような、大勢にとってはもはや"ゴミ"かもしれないフィルムがもうそれはそれは膨大にあり、資料としてはある層にはとてもとても貴重な資料なのだろうな、ということがうかがえた。
日本は、関東だけが全てではないのだ、としみじみ思うのであった。
仕事
5年間勤め上げたフィルムアーカイブでの仕事が、契約の都合上3月31日で終わった。
社会人としての初めての仕事であり、しかしながら全体的にゆる~く働いていたので恐らく一般的な同年代よりはかなり苦労がなかったのではなかろうか。
とはいえ、最初は全身蕁麻疹になったので社会人としては慣れない緊張はあったのだと思う。
母方祖父の死、母の死と立て続けに起こった1年目。でもそれ以降を乗り越えられたのはここでの仕事のおかげでもあるし、フィルムアーカイブという仕事の、ある種陰の存在であり、でも映画の歴史を残すことに全力を注いでいる大切な存在であり、その中でも更に更に陰の仕事でありはしたが関われたことは幸せこの上ない。
ただただ映画を観ていた、そしてバイト時代に映画を流していた、そんなことの一歩先を知れたのも勉強になった。
ごくごく最近になって自分の存在が"traffic coordinator"というかっこいい肩書があるのも知った。
フィルムアーカイブを研究する人、アーカイブにあるフィルムを上映するために企画する人、広報する人、フィルムアーカイブにあるフィルムを検査する人…それに比べたら倉庫に収めたり出したり、運搬したりフィルムの収納先をデータ上で管理したりなんてとても地味だし、ある意味では僕じゃなくてもできる仕事ではある。
それでもあの大きな倉庫をほぼ一人で管理していた事は誇りに思う。思いたい。
フィルムを運ぶ人たち - アートダイアリー - 文化庁広報誌 ぶんかる
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上司によるフィルムアーカイブのtraffic coordinatorの仕事の概要記事。
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こっそり撮った倉庫内での自分の写真。
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ゆるく働いていたので次の職を探す事自体の気力があまりなく、勉強に注ごうか、別業界に行こうか…とか考えていたが、特に深く考えもせずエントリーした今の職場に受かってしまった。
結局は業界としては変わることはなかった。バイトや映画祭スタッフを高校生からずっと続けていたことを考えると、そういう運命なのかもしれない。
3月に有給休暇を全て消化した。だから正直この月は働いてはいない。後任への引継ぎも終わっていたし、頼れる人なので不安要素もなかった。
それにしてもほぼ5年間、なんとか欠勤はせず有給休暇を実に有効に使えたものである。
もうこんなことはないのだろうと思うと悔しい気もする。
まあ、時間ある内に行きたいこと・やりたいことに費やすことができたというのは、学生の頃できなかったのをやれたという意味では良かったのだろう。
その他のプライベート
何があっただろうか…有給休暇を使って仕事をほぼ映画関連に費やしてたので、これといったものが思い出せない。
勿論、ちょっと呑みにいったり、あんなこんなな事が無かったわけでもないけれど。
刹那的な生き方ができたのも、2016年の中ではこの月で最後。
欲求としてはまだ刹那的にやりたいこと多いのだけれど。