映画
12本中、8本が映画祭で観たもので、その中で印象に残ったのといえば東京国際映画祭で観た『鳥類学者』や東京フィルメックスで観た『山のかなたに』だろうか。
『山のかなたに』に関してはイスラエルという国の現状を知ることができて面白かった。我々はすぐ知らない国を未発達だと思いがちなんだと悟る。イスラエルは想像以上に発展していた。そして、脅威も常日頃あって、そこで生きる人々の心地は日本に住む僕のようなものには計り知れないんだろうな、と感じた。
映画館
東京フィルメックスの開催場所の一つであるTOHOシネマズ日劇へ行った。
この映画祭に参加するために何回も来ているが、そりゃあ映画館仕様なので有楽町朝日ホールよりも全てにおいて快適な環境である。
元々が大劇場で、座席数もかなり多ければ、スクリーンもでかい。
有楽町朝日ホールの前方は舞台から近いけれど、傾斜がないので見ずらい席もあるのである…
そういや、久々に試写室というものに行った。
最近は試写状をもらうことがめっきり無くなったので、久々に知人からもらい、行った。
いつ行っても試写室というのは特別感があってワクワクさせられる。
映画祭
東京国際映画祭が11月までだったので、1本だけは観たが、あとは東京フィルメックスで7本観た。
有効に時間を使ってこれだけなので、今年の東京フィルメックスでの鑑賞本数は2番目に少ない。去年は最高の本数・10本を観た。
この映画祭は東京国際映画祭より毎年楽しみである。小規模が故、ラインナップのワクワク感は東京国際映画祭よりも高い。
開会式でコンペティションの審査委員長・トニー・レインズさんが東京国際映画祭やクール・ジャパンをチクっと批判して笑えたのも印象的だ。それほど関係者内でも好かれている映画祭なのだと感じられる。
残念ながら今年観た7本の中では特別に面白い作品が見つからなかった。ただし、いつものように知らない世界に扉を開いてくれた映画祭ではあった。
演劇
11月は2本。毎度おなじみで僕の好きな日本のラジオの『ヒゲンジツノオウコク』での三人姉妹の美しさは特に印象に残っている。
日本のラジオは、不穏な空気を出して後味が良くないことが多いけれど、今回も後味こそ悪くても全体的にはコメディであった。ここ最近の屋代さんの脚本は独特なコメディチックで、予期せぬ楽しみ方をしている。
7月の振り返りでも書いた八木麻衣子さんは本作にも出演しており、ここでも実にお美しい方で、そしてずっと恐ろしい目をしていたのであった。
ライブ
2年前から、僕の人生を狂わしたといっても過言ではないBiSが、プー・ルイと新たな4人のメンバーが入り、新生BiSが9月に誕生した。BiSHはじゃあなんだったの??…と思うくらいのワタナベさんの突拍子もない発表にはザワザワさせられたが、この突拍子もないものに乗っかることにした。
ある種の炎上を楽しむのも、また良い。
11月20日(日)、下北沢shelterで行われたワンマンライブ。
新生BiSは新しい曲もいくつかあるが、そのほとんどが既存の曲である。おなじみのnerve連続は確かに楽しめるけれど、そろそろ新しい手法を取り入れてくれないと僕も、そして他のファン(ここでは「研究員」と呼ぶ)だって飽きてくるであろう。
来年に2ndアルバムが発売するとのことなので、それ以降には期待したい。
今回は全員のメンバーと各々写真を撮った。
羅列していこう。
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ペリ・ウブと。チェキ会で22時までしかいられないことから一番若いことが判明した。オーディションで激辛カレーに涙していた姿が記憶に新しい。終始笑顔だが、会話をしてる感じだとあまり語彙力無い子なのではなかろうか、とは思った。まあ無邪気そうなので許す。
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ゴ・ジーラと。ダークホースになりたいと発言したり、オーディションの中では地味目でありながらかなりの信念があって見た目じゃないところでファンが増えそうだと感じた。twitterでもよく変顔をしたり、全体写真の中でも独特な位置にいる。
ライブでも表情からは見えない心の爆発を時折披露していたので、安心して観ていたのだが、終盤のMCで泣き出したところから、アイドルになる不安はやはり抱えてたのだな…という壊れやすさもあるのだというので慰めてあげたくなったのであった。実際チェキ会でも「泣かないでください」と言ってあげた。
彼女にはやはりおちゃらけた顔が似合う。
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アヤ・エイトプリンスとは2枚。「首を絞めて下さい」とお願いしたら冗談じゃないほどの絞め方で、びっくりしてしまった。そしてこの笑顔なので今回のBiSの中で一番美しい顔なのにBiSに入りたがった理由がわかった気がした。
2枚目の妖艶な顔はずるい。
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キカ・フロント・フロンタールと。アヤ・エイトプリンスとは違った綺麗な顔立ち。最近のtwitterではブス顔チャレンジで確かにひっでぇ顔してるけれど、通常は良いお顔立ちである。
なんかそこまで深く会話してないからか内容を覚えてなかったので、次回はもうちょっと会話したいなとは思った。
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プー・ルイと。BiSを立ち上げた重要メンバーであり、BiSを再度立ち上げた重要メンバーであるにもかかわらず、何故か当初から好きになれなかった彼女。正直に彼女にはそれを伝えた。話してみるとそこまではバカっぽくないんだなと感じる。
彼女がいたからBiSというものに再び出会えたわけなのだから、僕は彼女に一番お礼をしなくてはいけないのであろう。
旅行
11月は旅行に行っていない。
仕事
業務内容がこの月から増えた。つまりは可能な業務も増えたのでヘルプとして呼ばれた時にいつでも行けるようにもなってしまったのである。
慣れてきたとはいえ、一気にそのヘルプ可能な業務が増えたので、頭が全然追い付いてこなくてヘトヘトになってしまったのであった。
初期の頃まではいかなかったものの、下手したら初期の頃のような不安定な精神状態になってしまったかもしれないとは思っている。
その他のプライベート
11月10日(木)、母方祖母が亡くなった。耳が聞こえなくなっても頭は常によく回転していて読書家だったし勉強家だったが、晩年は耳が聞こえず周りと上手く会話できなくなってしまう不安からか、施設のスタッフへの被害妄想も激しくなり、次第に孫である僕へも被盗難妄想が激しくなり、それまで不定期で、祖母の入居している施設へは会いに行っていたのだが、祖母の事を考えて敢えて行くのを控えるようになってしまった。
代わりに祖母の弟にはそれ以後随分と世話をしてくれたみたいで、ありがたい限りであった。
5年前に母方祖父(つまり祖母にとっては夫)が亡くなり、4年前には母(祖母にとっては娘)が亡くなったので、祖母にとってはこの5年はかなり悲しかったし淋しいものであっただろうと思う。
今の職に就いてからは更に多忙で気を回すことさえできなくて、孫としてもツライものがあった。
結局、僕は親類の死に目というものには今回も会うことがなかったけれど、たぶんそれで良かったのかな・・・とも思ったりもする。亡くなる瞬間なんて見たくはないから。
初めて喪主なるものも務めた。簡単な葬儀ではあったけれども。
30歳は社会的には大人だ。見た目がそうでなくても、経験値としてそうでなくても、頼りがいなくても、やっぱやっておきたかった。
悲しいとかそういう感情は全然湧かなかった。近しい人の死は三度目だから慣れてしまったのかもしれない。
業務が一気に増加した仕事に呑まれ、そして祖母の死後の色々な処理に呑まれ、すぐ時は過ぎていったのであった。