AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行と音楽が好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

セクシャリティのアイデンティティ確立史

chuck0523.hatenadiary.jp

社会人になってから「歴史」というものにちゃんと触れるようになり(高校~大学まで理系だった為か、授業でそういうものを受けて来なかったのと、自身もまだ興味というものが無かった)、ここ最近はメキシコ(リメンバー・ミーを観たから)とベトナムの歴史の本を買って読んでる影響で、自分史に沿って書きたい衝動があるのでそんな感じで書いてみる。

1.小学生時代

初恋は小学1年生の時、同じクラスの女の子だったことをはっきり覚えている。
(ちなみに大学生になってからmixiで彼女を発見し、メッセージを送り、歌手として小さいながらも活動していたので2008年3月15日(土)に渋谷へライブを観に行ったりした。
花束を買ってライブ後に渡すなんて、たぶん今後もあるかないかのことをしたりもした。)

高学年の頃、はっきりとした時期は定かではないが、好きな人は誰かというちょっとしたクラスの話題があり、そこでとある男子に耳打ちで、好きな男子(この人とは別)の名前を言ったことがある。

ここで唐突に二丁目の魁カミングアウトのMVを紹介する。

ウサギと賽子さん -usagi to Saikosan-(music video)/ 二丁目の魁カミングアウト
耳打ちした彼の戸惑った表情は今でも忘れないが、このMVのように噂になることがなかったのが幸いだった。
いじめがあるかないかで随分僕の今後が変わってきただろうと今でも思う。

かっこいい男の子、可愛い男の子が好きだという割合が多かったというのもあって、好きの度合いが男子寄りだったというのはある。
一度だけ、男子の友達に「男の子を好きになることってどう思う?」って聞いたら「同性で好きになることはまずあり得ない」と言われ、(ああ、これは恋愛感情とは違うのかなぁ)と深くは考えず半分くらい納得していた自分がいた。

一人っ子であった僕は母とべったりな生活を占め、母が好きなジャニーズタレント(ある程度は色々なグループを観ている)や、男性ロックバンドのライブへ一緒に行く機会が多かったからというのは潜在的に影響となっていたのかもしれない。

2.中学生時代

まだ札幌に住んでいた中学1年生の冬、とある電話ボックスで坊主頭の友人にキスをされた。
これがいわゆる初めてのキス。
強烈な経験による性の目覚めはここで始まった。

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父の転勤の都合で2000年2月に札幌から東京の中学へ転校した。中学1年生の2月、かなり多感な時期。
約2年間、学校に完全に馴染めていないなか、よく図書館へ行ってたのを覚えている。
そこで見つけた本の中に「性同一性障害」や「性的倒錯」などの文字を見て、精神的に自分はおかしい人なのかな、と思っていたような気がする。

3.高校生時代

高校へ入学してできた友人の中に、「あ、これは友情とは違う感情を抱いている・・・」という人がいた。
このことが、今に至るまでの僕の"好きな顔のタイプ"を決定づけることとなった。
今でも同性の友達が圧倒的に多い自分ではあるが、そのほとんどが"そんな感情"を一切抱かないで話せているなかで、彼へのドキドキは常にあった。
小学生のときに友人に否定されたものは、ここではっきりと肯定すべきものなのだと気付いたのであった。

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高校1年生のときにクラスメイトの女子に告白されたこともあり、高校卒業したかしないかのあたりで同じくクラスメイトの女子に告白したこともあり、女の子も好きではあったので、僕の感覚ではどっちも好き、というものであった。

高校2年生か3年生かのときに、とある友人へ自分の秘密を打ち明けた。
そしたら彼が、自身がアスペルガー症候群であるということを打ち明けてくれた。
airj15.hatenablog.com

ここにも書いたこと

アスペルガー症候群というのを全く知らなかった僕はあとでネットで、本屋で、色々調べた。
なんかちょっと変な面白い人、という認識でしかなかったので、調べてみて彼は彼で相当苦労していて、自分はなんてちっぽけな悩みなんだろうか、と感じた。

4.浪人時代

希望する大学にはことごとく落ち、仮面浪人生のフリをするただの浪人時代が始まった。
ここで、高校生時代に映画にハマり、映画祭のスタッフとして活動し始めたことが生きてくる。
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現:『レインボー・リール東京』)との出会いだ。
当日スタッフを募集していたので、僕はすぐ応募した。
初めてゲイ、レズビアン・・・といった人たちがたくさんいるのを見たし、出会った。
同じセクシャリティを共有できるという体験はかなり嬉しかったのを覚えている。

映画も好きだったし、この映画祭も好きだったというのもあり、2013年まで毎年、計9回(9年間)当日スタッフとして関わった。

5.2006年誕生日前日

無事大学へは入学したものの、まるで興味の無い学部に入ってしまったのでまたもや闇の(病みの)時代へ突入してしまった。
支えは、入学してから出会った演劇と、相変わらず好きな映画であった。

そんな悶々とした日々が続くなか、誕生日前日、ゲイタウンとして有名な新宿二丁目という街に好奇心で立ち寄り、そこでとあることが起こった。
airj15.hatenablog.com
これを機に、何度もここへ立ち寄っては、突っ立ってみた。

今思えばネットも使えたというのに、なんてアナログなことをしてたのだろうか。でも、欲望を満たす成功率は高かったので、ついつい行ってしまうのであった。

6.SNS時代

東京国際レズビアン&映画祭のスタッフの気になっていた人に某mixiまがいのSNSに招待してもらい、本格的なSNS時代へと突入した。大学2年生の頃だ。
ここでできた友達は、その後Twitterへ移行しても付き合いが続いている人も多い。彼らから派生して付き合いが始まった人もいる。
もう全然会ってなかったりもする人も多いけれど、数年ぶりに会うこともあって、変わらず酒を酌み交わし、セクシャリティの共有ができるというのがとても楽しかったりする。

SNS時代に突入してからは数えきれないほどの男に出会った。何かある・なしに関わらず、そしてその深さの度合いに関わらず。
大学では辞めるまでの5年間、友達という友達がほぼ居ない暗いキャラを突き通しており、某mixiまがいのSNSと、映画、演劇での付き合いという外部での活動がメインだった。
様々な人と出会うことに恐れなくなり、むしろ楽しくなっていったのであった。

7.2012年3月以降

2011年、社会人になって数ヶ月後に母方の祖父が亡くなり、12月に母の卵巣癌が見つかり入院、あっという間に翌年3月に亡くなった。激動の社会人1年目。

一人っ子の僕は、社会人になっても母の過干渉が続いていた。
大学生時代からずっと、無断で外泊するだけでも怒られた。
だからといって、無断外泊することは辞めず、嘘をついて外泊したことは幾度となくあった。

母は僕のことに気付いていた。
ノートに書いた日記でしか知りえない事実をぽろっと聞いてきたりした。
たぶん勝手に読んだのだろう。
知らんぷりをしながら、僕なりの抵抗をしたくて、敢えて隠すこともしなかった。

母が「育て方が悪かったんじゃないかな」と相談していたということを後に聞かされたりもした。
女装姿の人を見て「気持ち悪い」と言いながらも、何回も東京国際レズビアン&ゲイ映画祭へ来てたりもした。理解をしたかったのかもしれない。

そんな母への見舞いは、あまり行かなかった。
過干渉から逃れられるチャンスだと思って、最後の最後まで見舞いの回数は少なかった。
晩年まで不仲だった父のほうが僕より見舞いへ訪れた回数が多いのではないだろうか。

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母が亡くなってから突然の”自由”が訪れた。
誰にも、何も、邪魔されない、咎められない、”自由”

社会人になってからはスマートフォンを契約し、アプリ時代へと突入したので、この”自由”を手に入れてしまってからはアプリの活用が多くなった。
映画、演劇、お酒・・・に旅行も趣味に加えられた。
(社会人になってから初めて一人海外旅行をしたが、母に内緒にしていたことを咎められることがわかりきっていたので、破棄できないよう既に旅行の予約を締結させてから告げた。案の定、咎められた。)
airj15.hatenablog.com

僕の旅の主な目的は「映画館を訪れること」「お酒を呑むこと」の2つに絞っている。
(演劇を観るために遠出することもあるが)
あとはテキトーにぶらぶらして、付随的に何かすることはあるけれど、弾丸での旅の場合は上記の2つだけで終わらせることはよくある。
もちろん、この2つを達成させない旅もあれば違う目的もあるが、一人旅を始めてからは7割程度はこの2つを達成させることを目標にしている。

告白すると、「男と出会う」も加えていたりする。
日本全国津々浦々、台湾、香港、韓国、中国・・・
行動範囲が広くなったお陰でSNS時代より更に出会う数は多くなった。

単純に人と出会うのは楽しい。
そこで起こる不測の様々な出来事が楽しい。
こうして確固たるアイデンティティを持つようになった気がしてる。
(一人居酒屋もこのときから覚えたので、ふらりと立ち寄ったところで店員や客と会話を楽しむようにもなった)

8.現在

アクアくんの記事やヤシュウさんの記事からここへ辿り着いている方がいらっしゃるみたいだが、たぶん何も参考にならないと思う。
airj15.hatenablog.com

参考記事

現在の状況が今までに於いて一番落ち着いている、といえばそうなるのかもしれないが。
一つ言えるのは、好きなことをやり続けた結果が何事においても僕を形成していった、ということ。
努力っぽい努力をしないで人生が転がり続けてるなってのは常々感じてる。

ということで、思い出せば出す分だけ細かいことがでてきて、既に長文になってるのでこのへんでおしまい。