AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行と音楽が好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

虚構に酔いたいんだ


※『バーチャルバードパーク』
7/29(日)、『ジュラシック・ワールド/炎の王国』(IMAX3D字幕版)を観た帰りに寄った玉川高島屋にて。

とある近しい人がこう言った。(一部編集)

"フィクションに耽溺したい。だけど、ストロングゼロのほうが摂取しやすいという致命的欠陥がある。"

…ちょうど一昨晩、というか時間的に早朝にあたるけれど、家で一人、度数の強い安価なチューハイをを飲んでいた自分が、ここ最近の一人家飲みの圧倒的な退屈さを感じてたところで、そう、僕もそれを願ってたんだよ、と思い出した。



前回書いた記事から2週間経ったが、その期間の中で観た演劇が面白かった。
正体不明の作者の小説がとある文学賞を受賞することによって翻弄される人々の話である。
終演したのでネタバレするが、結局その作者が誰なのかはわからず、というかその小説自体が存在したのかすらわからないままで終わった。

正体不明の小説を説明しろと言われると、複雑な内容だからと誰しもが説明できないと口々に答える。
文学賞の記者会見の記者のうち唯一その小説を読んだことのないという女性が、じゃあどんな本なのか実際読んでやる、ということでそれを読むシーンがあるのだが、この本の中身には何も書かれていなかった。
しかしながら女性はその何も書かれていない本を普通に読み始める。
僕を含む観客たちはそれを見て「ああ、小道具だからね、これは小説なんだ」と思い込むことにして納得する。

・・・が、この小説を読んでいる女性をほったらかしてごたごたが続く中で、ついにとある記者がこう言ってしまう。

「その小説自体、存在してたのか?」と。
「ほらこの小説、白紙じゃないか」と。

そして、立て続けにこうも言う。

「これ自体、戯曲じゃないか」と。

彼は、物語の登場人物たちが存在しているかどうかわからないごたごたを起こしているさまに嘲笑している観客たちへ、垣根を越えて突き付けてきてたのだ。
(ちょうどその小説のタイトルが『境界侵犯』だったりする。)

フィクションたるや、とちょうど考えてた僕は、帰り道に「嗚呼、虚構に酔いたかったんだ、そして、酔ってたんだ」と思い知らされながら、二駅分歩いたのであった。

この演劇の中のより詳しい内容は、以下の方のレビューを参考にしてもらいたい。
ameblo.jp



昨年、最近よく一緒に映画を観に行く友達に誘われてドクター・ストレンジを鑑賞してから、それまでマーベルとDCの違いすら分からなかった僕がアメコミ系映画をよく観るようになった。

盛大なフィクションに塗れた映画を、それまで食わず嫌い状態だっただけで、実は結構楽しめるじゃないかと気付いたのだ。

かつて、素人ながらに自主映画の審査なんてものをやって数十本観てた頃、一緒に審査してたある人が「別に映画でリアルなものを観たいわけでない」と言っていたが、今になって分かってきたような気がする。

リアリティというものは時に必要な要素であるが、時に全く以て要らないこともある。

無理にリアルにこだわらなくてもいいじゃん、フィクションで楽しんじゃってもいいじゃん。
今、僕はそう強く思っている。



よく考えると現在、フィクションを商売にしてる自分がいる。
その前は、フィクションの保存・管理を生業としていた。

そういう人生を歩んでるのだから、とある抽選で当たったストロング缶350ml×24本と、もらった日本酒2瓶、購入した日本酒1瓶、ノンアルコールは無調整豆乳1L、ミネラルウォーター2L×2くらいしか入っていないという、残り物で料理なんて作れやしない僕の家の冷蔵庫を見つめながら、お酒を楽しんで吞むのは、ちゃんとフィクションに酔いしれて充分楽しんだ時にしよう、と決めた。

最後に

ここ最近、心が荒れている気がしてきてる。
いくつもの出来事が重なり、ひどく攻撃的になり、ひどく落ち込んだりしている。
さっきまでフィクションに酔いたいとつらつら言ってる自分が、必要以上にリアルが混じりすぎてしまったからかもしれない。そして、色々な面で何かを意識しすぎてしまい方向性がずれてきてる気もしていた。

一旦、プラットフォームを変えるべきなのかもしれない、と思っている。
映画レビュー、演劇レビュー、映画館探訪記。こういったものに特化したのを用意したい。
あとは、2年前から自己満足企画でやっている10月の誕生日の記念に、自分の写真を他人に撮ってもらうってことを今年もやろうと計画をしていて、手始めにInstagramを稼働させてみたりもした。Instagramのタイムラインを追うのは現時点ではあまり好きではないので、プラットフォームは別のものにするかもしれないが。

混沌としてきた僕の頭ん中を整理する良い機会であろう。