AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行と音楽が好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

マイノリティ論1~彼氏がADHDを告白した話~

去年の僕の誕生日、一日が終わろうとしているときに恋人がFacebookで記事を投稿した。

はて、一緒に過ごした2回目の僕の誕生日に、改めての愛の告白をしてくれたのであろうか。
日々全く書いていない惚気を、ここぞとばかり書いたのであろうか。

全く違った。
むしろそんなこと一ミリたりとも書いてなかった。

自らがADHDであることをカミングアウトしたのだ。
adhd.co.jp
1mにも満たない距離に僕が居たにも関わらず、「更新したんだ~」とかも全く言わず。友達に公開ではなく、全体公開で。
まあ、だらだら一緒にいるとお互いPCかスマホを見て過ごすことはざらなので、何も言わずにSNSに投稿するなんてことはもう当初から珍しいことでもないのだけれど。

その記事の感想は直後に言わず、数日後に告げた。

誕生日が過ぎた深夜、布団の中で彼がリンクしていたADHDの診断テスト(上のリンクのもの)を僕もやってみたけれど、可能性が低いという結果になった。
彼曰く、書類記入などの事務作業はとてつもなく苦手で時間がかなりかかるという。
僕も面倒になって後回しにする日はあるにはあるけれど、いざ書類を書こうとするとむしろ楽しくなってくるし、単調な作業も苦ではなかったりするのでやはり彼とは違うのだろう。


さて、最初に記事を読んだとき一種の動揺が生まれたことは否定しないが、その後どういう感想を抱いたかというと、率直にこうである。
「羨ましい」
ADHDの人に出会ったことが無いわけではないが、すんごくざっくり大まかに分けてしまうと「生きづらさがわかる」タイプと「傍からだと生きづらさを感じず、むしろ自由奔放に生きているように見える」タイプがある(と思う)。

彼の場合は圧倒的後者で、転職もせず好きなことをやり続けているので、医師にも驚かれたらしい。
面白いことを見つけては挑戦し、面白い人に会ってはどんどん輪を広げ、行動力は僕の倍以上あるので、「書類を書くのが苦手」「薬を服用してやっと書類が書けるようになる」という障害があることがわからなくなってしまうから、そう思ったのであろう。


「羨ましい」と思った理由として、「自分は特別な存在でありたいのだ」という気持ちが隠しきれてないからというのもある。

とある人がセクシャルマイノリティであること自体がアブノーマルでありそれに溺れている人がいるんじゃないかと言っていたが、無きにしも非ずなんじゃないかなと思っている。
だから、僕が自分のことを告げたとき、友達が実はアスペルガー症候群であると告白してきた高校生時代や、旧友が二股&不倫をしてると告白してきたときなどに「僕よりもすごいじゃないか」と勝手にマウントされた気分になって一瞬悔しくなったりするのである。
僕にはセクシャリティ以外で何か特別な"マイノリティ"であることが、今のところ無い。


「羨ましい」と同時に「特別な人と居られることが嬉しい」という卑しい気持ちもあるにはあった。
これは僕がアプリにて、日本に住んでいる中国人や、聾の人という"マイノリティ"である人へ積極的にアプローチをかけていた頃からその傾向にあった。
プロフィールに書いてなくてこちらがアプローチをかけなくても何故かそういう人を偶然引き当てることもある。そのときに「おいしい」という卑しさが無いなんてことは、全く以て否定したくない。


このご時世"多様性"がありふれてきて、"マイノリティ"だの"マジョリティ"だの、もうちゃんちゃらおかしいことなんだろうけれど、線引きをやっぱしたくなって、"マイノリティ"に甘え、恍惚に浸っていたいのは、誰しもあるのではないだろうか。内に秘めてるだけで。