AIR-J'史

映画と映画祭と映画館と演劇とじゃがりこと旅行と音楽が好きな札幌生まれのAIR-J'の記録

誕生日2日前-2019

昨晩初対面の人と話してて、自分は誰かのロールモデルにはなり得ないし、参考にされてもうまくいかないんじゃないかな、と感じた。
「羨ましい」と言われるのは嬉しくないわけなんかないけれど、それを他人に当てはめようとしてもたぶんダメなんだとものすごく思ってしまっている。

また、どうやら僕は相談というやつをあまりしてこなかった人で、業務、勉学などは別として人生の相談ってのをしたとしても参考にして実践した記憶がそこまでない、気がする。

しかし前回も書いたように、何をしたいんだろーなー、とロールモデルを探してはみていて、こんな人になってみたい!って度々思うのだけれど、同じことができないのは容姿だったり生き様だったりが同じではないからと悟る。
似たようなことしてもつまらないと感じてしまうわけで。


最近はSNSから一線を置いてる人をちょくちょく見かける。
僕も以前に比べると発信することはずいぶんと減ったんだけれど、相変わらず眺めることに時間を割いている。

SNSに一線を置くことを書く人を見ると、僕は逆にますますSNSを手放そうとしたくないという謎の抵抗心が生まれてくる。

SNSをやる人、やらない人、どちらが悪いとかではない。
というより、WEB記事だのblogだの使っている時点で僕はそれも広い意味でのSNSだと感じていて、完全にやらない人は「やらない」とさえwebでも言わないのではないか、と思っているからなんだろう。
あと、SNS疲れというのも度々言う人がいるけれど、どれだけSNSに命を捧げようとしてるのだろうか・・・?とも思ってしまうのだ。
収入源になってる人にとっては死活問題ではあるのかな・・・


これまた話が変わるけれど、先ほどからOfficial髭男dismRowanをリピートしまくってる。
なんかゆるいパーティーが始まるようなイントロなんだけれど、歌が始まった途端切なさ全開のメロディーと歌詞が連なる。
ラストの

「痛みだけでも君に残したかった」

を含めて、嗚呼こんなこと思ってた時期もあった気がするなぁ、としみじみしてしまう。

今の自分はかなりドライな生き方なのでここまで空虚になることもないのはちとアーティスティックじゃないなと残念にはなるが。